相方さんの寝言

先日、久々に相方さんが寝言を言っていた

 

聴きながら何だか泣けてきて

相方さんに、「泣いちゃった」って言ったら

「寝言で泣いたの!?笑」と、ケラケラ笑われた。。。

 

いつだって、ピンチのときに救ってくれるのは彼だったな、と

じんわり一年前のことを思い出した

 

 

~ ネコ社長との出逢い!? 編~

 

「ネコ飼っていい??

 うん。捨てられてたの。かわいそうだから。

 うーん。。かわいいから。

 白いおっきいの。。。

 

 サケあげたら食べた。お腹すいてるみたい。

 いっぱい食べる。

 

 笑うんだよ。ネコ。かわいいよ。

 

 さっきね、肉あげたら食べた。

 何でもいいみたい。皮も食べた。

 お腹すいてたみたい。

 かわいそうだから、今日から飼う。

 

 名前。。。にゃにゃん。ネコだから。

 おっきいけど、一緒に寝るから。

 

 にゃにゃん、おいで。よしよし。

 (私の体をなでなでしてる)

 

 もう大丈夫だからね。安心していいよ。

 

 ・・・・

 トイレはあっちだから。(←笑!!)

 

 ライオンじゃないよ。ネコだよ。

 にゃんにゃんって言ってるよ。ガオーって言わないもん。

 にゃんって言ってるから、ネコだと思う。

 おっきいけど。

 

 明日、散歩連れてこかな。

 海、好きかな。

 魚。。。魚食べるかな。

 魚、獲るかな。ネコだから、えい!って獲るかな。

 

 首輪。。。首輪買ってこようか。

 

 おっきいけどねえ。。。鳴き方忘れちゃったみたいで

 あんまりにゃんにゃん言わない。

 

 ご飯食べたらおとなしくなった。

 オラと同じもの食べた。

 ネコが猫舌って、嘘じゃないかね?

 おいしそうだった。。だから飼う。

 オラの部屋でいっしょに寝る。

 

 ひげツンツンしないの。くすぐったいからね。」

 

 ~~しばらくたって~~

 

「今から起きるの?さっきご飯食べたよ?

 今から遊びにいくの?(←そのとき深夜1時すぎ)

 

 それで目が光るのか。。。そっかそっか。

(←勝手に納得しとる。。。笑)

 懐中電灯みたいに光るのね。。。

 

 わかったよ。すぐに帰ってくるのよ。

 

 ネコの散歩ってどれくらい時間がかかるかね?

 わかんないね。

 どこまで行くのかね?

 

 

 あら、帰ってきた。

 おかえり。かわいいね。

 にゃーんて言わないね。

 

 ・・・・・・・・」

 

 

約一年前、家を飛び出して

心身共に疲れ切って彼の家に行った日のことを思い出した

 

あのときもこうして安心できる場所を整えてくれて

そして、それは今でも変わることなく続いている

 

 

すっかりこの白猫は居座ってしまって

好きなときに家を出て

 

旅をして、知らない街を歩いてみたり

いろんな人に会って、かわいがってもらったりしながら

 

また、安心できるお家へ帰ることができている

 

 

「もう大丈夫だよ」という言葉と

「安心」は

幼い頃からずっと欲しくて欲しくてたまらなかったもの

 

 

寝言でさえも、そういうことを言ってくれて

なんだかとてもうれしくて

自然と涙が溢れていた

 

 

どんなときも、その二つを差し出してくれる相方さんは

本当にすごいな、と思う

 

 

いつも、本当にありがとうございます

 

寝不足の朝

※この記事は、2018年5月7日に

Facebookに上げた記事を載せています

 

 

相方さんは、夜寝てるときによく寝言をいう。
 
普通に会話するみたいに話すので最初はびっくりしたけど、徐々に慣れてきて
 
最近はもう、となりで笑い転げながら聞いている。
(となりで爆笑してるのに全然起きない。。。笑)
 
その内容がめちゃおもしろいので、記録をとることにした。笑
 
昨日のをシェアしたいけど、前の寝言の続きもあるので
(ストーリー仕立てなのがまじですごい笑)
前の寝言をシェア。笑
 
 
~以前の寝言① わたしはネコ 編~
 
※はじめに
どうやら、私はネコらしい。。笑
 
「こんなに冷たくなって、寒くないの?
 なんでこんなに寒いのに長靴脱いでくるかな。。
 (ネコが長靴はいてる!笑)

 

 探してきてあげるね。
 
 =しばらくたって=
 
 長靴あったよ。
 どこにあったと思う?
 michikusa(行きつけの近所のイタリアンのお店)の前に脱ぎ捨ててあったよ。
 
 なんでこんなに寒いのに脱いでくるかね。
 しっぽも凍っちゃって。。。
 (しっぽ凍ってたんかい!!!!笑笑笑)」
 
 
~以前の寝言② ネコ社長登場 編~
 
※どうやらこのネコは社長になったらしい。。笑
 
 
「ネコ社長、スピーチはネコ語でお願いします。
 社員みんなネコなんで。
 (社員みんなネコなんかーーーい!!!笑笑笑)
 
 社長が長靴はいてるので、社員は長靴禁止です。
 
 そして、これから社歌を歌います。
 
 ・・・・
 
 ♪ 〇△◇~ふにゃにゃ~~にゃーーーー
 にゃにゃにゃ~~ふにゃふにゃ〇△◇~~。。。 ♪
 
 (この人何か歌ってるよ。。!!
  しかもにゃーにゃー言ってる!!!!!爆笑)」
 
 
。。。。。
思い出すだけでお腹が痛い。。!!!!笑笑笑
 
相方さんが寝言を言った次の日は、必ず寝不足になります。笑
 
次何言うのかが気になって眠れません。。。

 

というわけで、昨夜の寝言は次回へ続く。笑

「損をした」ことの裏側

つい数日前、

私の不注意が原因で

とても大きな損?をしてしまった

 

 

思えば、ここ最近「損をした」と感じたことがなかったので

ちょっと新鮮だった

 

 

けど、

そんな綺麗ごとだけじゃなくて

 

 

やっぱり最初は

とても憤りを感じて、とても悔しかった

 

 

 

原因は自分でもよくわかっていて

 

自分ごとなのに、人任せにしてしまったこと

 

 

 

あれから、ちゃんと自分を生きる、と決めて

自分のことは自分で、と思ってやってきたけれど

最近はだれてきて、甘えが出てしまっていた

 

 

 

損をしたことに気づいたとき、

 

最初は

 

「えーーーなんで!?!?だめなの!?!?!?

 だってこうこう。。。(←完全なる自分の言い訳)で仕方ないじゃんーーーー

 大目に見てよーーーー

 うわーーーーん涙涙涙」

 

 

(どうしてもダメだとわかって)

「〇〇(←相方さん)がこう言ってたから任せてたのに。。

 もっと早く言ってよ!

 〇〇がいけないんだ!

 〇〇のせいだ!(←と完全に他人のせいにする。。(;´・ω・))」

 

 

(そのことを相方さんに電話で責める)

「(その前に完全にブー垂れて電話でも無言。。。(;´・ω・))」

 

 

。。。と超久々にこじらせ系なめんどくさい奴になっていた。。。(;´・ω・)(;´・ω・)

 

 

 

ちょうど愛知に戻っていたときだったので

相方さんとは直接話せず、先日逗子に戻ってようやく直接話ができた

 

 

それまでタイムラグがあったので、私も冷静に考える時間ができて

むやみに相方さんを責めることはしなかったけれど、

(それでもちょっとは責めたけど笑)

 

自分が感じた憤りと悔しさと

自分の情けなさについて、一通り話をした

 

 

相方さんは私が話す途中に遮ることなく最後まで話を聞いてくれた

 

 

一通り話せたことで、私はスッキリしたけど

相方さんはモヤモヤしてるよな~~こんなこと聞かされて。。。

何だか申し訳ないな、、、と思っていたら

 

彼は全然、そんなことを感じていなかったみたいで

私の気持ちを理解してくれて受け入れてくれただけでなく

 

彼なりに、今回の問題点を一緒に振り返ってくれて

私が負った損を、一緒に穴埋めしてくれると言ってくれた。。。!!涙

 

 

それだけじゃない

 

愛知に戻っていたとき、母にもその話をしたけれど

黙ってただ一緒にいてくれて

 

逗子に帰るときに、お菓子や必要なものを持たせてくれたりもした

 

 

 

 

私が「損をした」と思っていた出来事は

 

実際には「あったものがなくなった」わけではなく

「得られるはずだったものが得られなくなってしまった」ということ

 

すなわちそれは

 

「もともと、なかったもの」だったのだ

 

 

 

その「もともとないもの」を追っかけて

 

過去のことを悔やんでいたり

誰かのせいにして憎んだり

自分を責めていたり

 

なんて無駄なことをしていたんだろう

 

 

「ちゃんとあるもの」に目を向ければ

 

 

全部を優しく受け止めてくれる相方さんがいて

ヘマをした自分を愛おしく思ってくれる母もいて

 

 

愛と優しさに満ちた世界の中で

生きていられている自分に気づく

 

 

とてもとてもありがたくて、尊い世界で

 

 

 

そう感じたら、ありがたすぎて

自然と涙が溢れてきた

 

 

 

「ないもの」にフォーカスするのではなく

「あるもの」にフォーカスする

 

 

それは、自分の中だけじゃなくて、

自分の外側の世界にも共通すること

 

 

 

きっと、今の社会は

「ないもの」にフォーカスしているから

とっても苦しいのだろうな。。。と

この現代社会の縮図を、自分の中に見たような気がした

 

 

 

何日も落ち込まずに

こうしてちゃんと「あるもの」に気づけて本当によかった

 

 

 

いつもいつも、本当にありがとうございます

Human Nature

数日前、たまたま相方さんがかけていた音楽の中で
 
10年以上前に聴いて、メロディーがすごく印象的で
綺麗な曲だなって思って気になっていた曲が流れてきた
 
その曲は(最近お気にいりの)
大橋トリオがカバーしていた
Michael Jacksonの『Human Nature』だった
 
これ、マイケルの曲だったんだ!!と
そのときに初めて知って、ものすごく衝撃を受けた
 
(私が以前聴いて気になったのは、おそらく
 Boyz II Menがカバーしていたものだったっぽい。。)
 
 
そしたら、
マイケルのお誕生日がちょうど昨日だったらしく
タイミングの絶妙さにびっくりした
 
 
気になったので、歌詞や和訳などいろいろと調べてみたら
 
まさにマイケルのことを
そのまま描かれているような曲だった
 
若かったマイケルにとって
「普通」の生活や暮らしが遠い夢だったこと
 
 
真面目で寂しがり屋なマイケルの人柄が表れているような気がして
何だか胸がきゅっとした
 
 
偉大なスターだって
私たちと変わらない、ひとりの人間なんだよなあ
 
 
この曲の歌詞で
 
 
I like livin' this way
I like lovin' this way
(こんな生き方でいたいんだ
 こんな生き方が好きなんだ)
 
↑この部分がすっごくいいなぁ。。と
ひとり感動した
 
 
おそらく、歌詞の中の流れとしては
あまりいい意味で使われてはいないっぽいけれど
 
 
きっと、人間の葛藤を描いているんじゃないんだろうか
 
 
だから、Human Nature=人間の自然(→摂理)
 
葛藤することは、自然なことなんだと
 
あの大スターだって、強い強い光があったからこそ
その分深い深い闇もあったはず
 
 
 
 
↑に書かれていた
 
I like livin' this way
I like lovin' this way
(こんな生き方でいたいんだ
 こんな生き方が好きなんだ)
 
 
は、今の自分の生き方でない生き方に憧れている
(んじゃないかと私は感じた)のだけれど
 
 
逆に
 
「こんな生き方でいたいんだ」
「こんな生き方が好きなんだ」
 
って言いきれる生き方をしている人は
今どのくらいいるだろう
 
 
マイケルは、どんな生き方をしたかったんだろう
 
 
胸張って「今のこの生き方が好き!」と言えるくらい
堂々と、自分を生きていこうと改めて思った
 
 
 
よければ、みなさんも聴いてみてください^^
 
Human Nature - Michael Jackson
 
 
 
 

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自分を観ること

お盆ということもあり、地元に帰省しています

 

 

 

 

お盆だからか

ふと、これまでの歩みを振り返って

 

 

たくさん、たくさん傷ついてきたと思っていたけれど

きっとそれと同じくらい

 

いや、ひょっとしたらそれ以上に

 

私も、たくさんの人を傷つけてきたんじゃないかと、ふと感じた

 

 

 

その頃の自分があまりにも無知だったり

 

自分勝手だったり

 

周りのことを気にしつつ、

ただ自分の思い通りにいかなかったことが気に食わなかったり

 

相手からの「愛」が、自分の望み通りの「愛」の表現でないと

選り好んでいたり

 

自分で自分の想いがわからなくて

相手に自分のことを伝える術がなかったり

 

 

 

それらはすべて

 

私がただ、相手からの『愛』を受け取る器がなかった

 

ただ、それだけのこと

 

 

 

「ない」「ない」と嘆いていた一方で

いろんな人たちがいろんな手段で、いろんな方法で

私にたくさんの愛を与えてくれていたのに

 

 

自分の中で、ずっと「かわいそうな被害者」で居続けたために

その愛にも気づけず

愛を与えて続けてくれた人を、ずっと傷つけてしまっていたんじゃないかと

 

改めて感じた

 

 

 

それでも、その人たちのおかげで

今の自分があって

こんな幸せな毎日を過ごさせてもらっている現実がある

 

 

傷つきながらも、それを超える愛で

きっと私のことを見守り、支えてくださった

 

私よりも、私のことを信じてくれていた人ばかりだった

 

 

その人たちに、申し訳なさを感じながらも

でも、やっぱり今では感謝でしかなくて

 

あのときに、一緒にいてくださって、支えてくださって

本当にありがとうございましたという想いとともに

 

こうして少しずつ

忘れていたことだったり

胸の奥に押し込んでいたこれまでのことが

昇華されていくんだと思う

 

 

どれだけの人を傷つけてしまったのかはわからないけれど

今の私ができることは

 

深く深く反省したら

伝えられる人には、その想いを伝えて

 

 

その人たちの幸せを祈ること

 

そして

 

その分、めいっぱい幸せに自分を生きること

 

 

 

いつまでも過去のことに引っ張られてたら

前に進めないからね

 

 

 

自分で自分を癒すということは

ふと思い出したときに、その感情を味わいつくして

自分を観ていくこと

 

 

 

そのときの自分はどんな気持ちだった?

どんな状況で、何をどう考えていた?

 

相手は何を思ってた?感じてた? 

 

 

その渦中にいないからこそ

感情に左右されずに見えてくる真実があるよ

 

 

 

そうして少しずつ、自分を解放していって

自分の可能性をどんどん広げていこう

 

 

 

自分の人生を歩めるのは

間違いなく、自分しかいないんだから

本当の自分とは

本当の自分って、何?

 

ここ最近、悶々と考えることがあった

 

 

 

相方さんと一緒にいるときの自分は

心の底からリラックスできていて

ご機嫌だと鼻歌を歌ってスキップしたりして

ご機嫌斜めだとムッとしたり、その感情を外に出すこともできて

 

 

まるで、小学生かのように

自由に、ありのままの自分でいられている

 

 

ありがたいことに、私が何をしても

相方さんは(なるべく笑)温かく見守っていてくれて

 

私が安心しきっているその姿を見ているのがうれしいとさえ言ってくれるので

 

こんなにも自由にのびのび過ごしていいんだ!と

ますます私はうれしくなって

「ありのままの自分」に還ることができる

 

 

まるで、失われた幼少期を取り戻しているかのような

夢のような毎日を送らせてもらっている

 

 

けれど、相方さん以外の人と接するとき

こんなにも子供らしい自分でいられるか、と言われるとそうではない

(食べ物を前にすると別かもしれないけど。。(;´・ω・)笑)

 

 

やっぱり、どこかちゃんとしなきゃと思う自分がいて

周りの人の感情を感じて、自分がすべき行動は何か?と

瞬時に考えて動いたりもする

 

 

そういう自分を否定して

「ありのままの自分(=相方さんといるときのような自分)」で

いようとすればするほど

苦しくなっていくことに気づいた

 

 

例えば、初めてお会いする人に対して

ある程度距離を保つ自分を

「ありのままの自分ではないから、これではいけない」と

どこかで感じていた

 

 

自分の在り方を否定していたんだ

 

 

 

そうではなくて

最初から自分を出せる人と、そうでない人がいて

私は後者なだけ

 

あくまでその人の資質によるだけのもの と感じたら

なぜだかものすごく心が楽になった

 

 

ありのままの自分が全てではなく、

ちゃんと空気を読んで、周りに気を配ったりする自分も

本当の自分なんだ

 

 

ちゃんと空気を読んだり、周りに気を配れることは

その人の大きなギフトであり、魅力であって

決してマイナスになることじゃない

 

 

それだけ、他人に寄り添える思いやりが溢れているひと

 

 

違う自分になろうとするのではなく

今の自分を見つめてみる

 

 

何が快で

何に不快を感じるか

 

心がどう動いているか

 

 

本当の自分とは

ありのままの自分とそうでない自分とのバランスが

どう取られているか、だと思う

 

 

バランスが傾いてきたら、苦しくなる

 

 

違う自分になるのではなく、

今の自分のバランスを見つめ直してみると

今の自分を客観的に見れてくるのかな、なんて思いました

 

 

 

あなたの最大のギフトは何ですか?

 

 

 

私の、あなたの最大のギフトを活かして

世の中に還元していこう

 

 

宝の持ち腐れにならないように

 

身体のサインに向き合う

先日夜

相方さんと、すれ違いが原因で

ちょっと言い合いになり

そのとき、彼が発した言葉により

 

自分のハートがとても傷ついて

自分ではとても消化しきれず

そのまま眠りについた夜

 

 

何時間か経ったときに

左耳に激痛が走って目が覚めた

 

 

夜中、ずっとそのまま激痛がひかずに

唸って悶え続けていたら

ようやく朝方になって、少し眠れた

 

 

次の日、耳鼻科にいったら

中耳炎と診断

 

 

中耳炎なんて。。。何年ぶりになっただろう

たぶん。。。25年ぶりくらい???

 

 

小学生の時、中耳炎になって

なぜか2~3年くらいずっと治らず

1日おきくらい?に病院に通っていたことを思い出した

 

 

小学校に上がる前、扁桃腺の手術をしてから

だいぶ身体は丈夫になったけど、

それでもあの頃は、皮膚科に耳鼻科に歯医者に

他、もろもろお医者さまにお世話になり。。。

 

 

身体のいろんなところが悲鳴を上げていたんだな、と

今になって思う

 

 

あの頃は、ただひたすらいろんなことを我慢するしかなくて

両親の不仲も 家庭内のコミュニケーションレスも

父からの厳しいしつけも 暴力も

 

何をしても「いい子」にはなれず

何をしても怒られる毎日が

ものすごく苦痛だったなあ。。。

 

 

この頃から、感じることを封印して

人様に迷惑をかけないように

人の目を気にして生きる術を学んだつもりだったけど

 

やっぱり、身体は素直に反応してた

 

周りの大人たちの言うことを もうこれ以上聞けません

っていうサインだったんだろうな

 

 

 

今回の中耳炎は

何だかその頃の自分を思い出すきっかけにもなった

 

 

だけど、そのときと今は違う

 

 

私は、もう大人になった

自分で行動を起こせるようになった

 

 

だからこそ、自分への気づきを得て

それを元に、これからの行動を見つめるチャンス

 

 

ひとりじゃ何もできなかったあの頃とは違う

 

 

だから、あの頃の自分に

がんばったね。

もう大丈夫だよ。

 

と声をかけて

すれ違った相方さんと向き合うとき

 

 

ただ、傷つけられたという被害者意識ではなく

冷静に、自分が感じたことを伝える

 

 

あの言葉は私にとってものすごく傷ついたこと

彼は、あの言葉はどういう意味で言ったのか

その前後のやりとりで、何か誤解を生んでいるんじゃないか

 

 

大好きだと思える人が

無下に私のことを傷つけるはずないのだから

 

 

被害者意識をずっと持ち続けているのは簡単でとても楽なこと

(かつての私もそうでした)

 

 

でも、その自分の殻を破って

相手に歩み寄ることが

とても大切なんだと思う

 

 

相手のことを信じていないと歩み寄れないから

 

そして、何よりも

相手を信じられる自分を信じること

 

 

だから、こういう話し合いができることが

被害者意識満載だった私にとって

とてもありがたいことで

 

 

彼も、自分自身に真摯に向き合ってくれるので

仲直りも早いです 笑

 

 

 

ということで、

今夜は相方さんの特製オムライスで仲直りです笑

 

いつも本当にありがとうございます♡

 

 

早めのご飯の後は、サンセットお散歩にいってきまーす♪