自分を観ること

お盆ということもあり、地元に帰省しています

 

 

 

 

お盆だからか

ふと、これまでの歩みを振り返って

 

 

たくさん、たくさん傷ついてきたと思っていたけれど

きっとそれと同じくらい

 

いや、ひょっとしたらそれ以上に

 

私も、たくさんの人を傷つけてきたんじゃないかと、ふと感じた

 

 

 

その頃の自分があまりにも無知だったり

 

自分勝手だったり

 

周りのことを気にしつつ、

ただ自分の思い通りにいかなかったことが気に食わなかったり

 

相手からの「愛」が、自分の望み通りの「愛」の表現でないと

選り好んでいたり

 

自分で自分の想いがわからなくて

相手に自分のことを伝える術がなかったり

 

 

 

それらはすべて

 

私がただ、相手からの『愛』を受け取る器がなかった

 

ただ、それだけのこと

 

 

 

「ない」「ない」と嘆いていた一方で

いろんな人たちがいろんな手段で、いろんな方法で

私にたくさんの愛を与えてくれていたのに

 

 

自分の中で、ずっと「かわいそうな被害者」で居続けたために

その愛にも気づけず

愛を与えて続けてくれた人を、ずっと傷つけてしまっていたんじゃないかと

 

改めて感じた

 

 

 

それでも、その人たちのおかげで

今の自分があって

こんな幸せな毎日を過ごさせてもらっている現実がある

 

 

傷つきながらも、それを超える愛で

きっと私のことを見守り、支えてくださった

 

私よりも、私のことを信じてくれていた人ばかりだった

 

 

その人たちに、申し訳なさを感じながらも

でも、やっぱり今では感謝でしかなくて

 

あのときに、一緒にいてくださって、支えてくださって

本当にありがとうございましたという想いとともに

 

こうして少しずつ

忘れていたことだったり

胸の奥に押し込んでいたこれまでのことが

昇華されていくんだと思う

 

 

どれだけの人を傷つけてしまったのかはわからないけれど

今の私ができることは

 

深く深く反省したら

伝えられる人には、その想いを伝えて

 

 

その人たちの幸せを祈ること

 

そして

 

その分、めいっぱい幸せに自分を生きること

 

 

 

いつまでも過去のことに引っ張られてたら

前に進めないからね

 

 

 

自分で自分を癒すということは

ふと思い出したときに、その感情を味わいつくして

自分を観ていくこと

 

 

 

そのときの自分はどんな気持ちだった?

どんな状況で、何をどう考えていた?

 

相手は何を思ってた?感じてた? 

 

 

その渦中にいないからこそ

感情に左右されずに見えてくる真実があるよ

 

 

 

そうして少しずつ、自分を解放していって

自分の可能性をどんどん広げていこう

 

 

 

自分の人生を歩めるのは

間違いなく、自分しかいないんだから