「損をした」ことの裏側

つい数日前、

私の不注意が原因で

とても大きな損?をしてしまった

 

 

思えば、ここ最近「損をした」と感じたことがなかったので

ちょっと新鮮だった

 

 

けど、

そんな綺麗ごとだけじゃなくて

 

 

やっぱり最初は

とても憤りを感じて、とても悔しかった

 

 

 

原因は自分でもよくわかっていて

 

自分ごとなのに、人任せにしてしまったこと

 

 

 

あれから、ちゃんと自分を生きる、と決めて

自分のことは自分で、と思ってやってきたけれど

最近はだれてきて、甘えが出てしまっていた

 

 

 

損をしたことに気づいたとき、

 

最初は

 

「えーーーなんで!?!?だめなの!?!?!?

 だってこうこう。。。(←完全なる自分の言い訳)で仕方ないじゃんーーーー

 大目に見てよーーーー

 うわーーーーん涙涙涙」

 

 

(どうしてもダメだとわかって)

「〇〇(←相方さん)がこう言ってたから任せてたのに。。

 もっと早く言ってよ!

 〇〇がいけないんだ!

 〇〇のせいだ!(←と完全に他人のせいにする。。(;´・ω・))」

 

 

(そのことを相方さんに電話で責める)

「(その前に完全にブー垂れて電話でも無言。。。(;´・ω・))」

 

 

。。。と超久々にこじらせ系なめんどくさい奴になっていた。。。(;´・ω・)(;´・ω・)

 

 

 

ちょうど愛知に戻っていたときだったので

相方さんとは直接話せず、先日逗子に戻ってようやく直接話ができた

 

 

それまでタイムラグがあったので、私も冷静に考える時間ができて

むやみに相方さんを責めることはしなかったけれど、

(それでもちょっとは責めたけど笑)

 

自分が感じた憤りと悔しさと

自分の情けなさについて、一通り話をした

 

 

相方さんは私が話す途中に遮ることなく最後まで話を聞いてくれた

 

 

一通り話せたことで、私はスッキリしたけど

相方さんはモヤモヤしてるよな~~こんなこと聞かされて。。。

何だか申し訳ないな、、、と思っていたら

 

彼は全然、そんなことを感じていなかったみたいで

私の気持ちを理解してくれて受け入れてくれただけでなく

 

彼なりに、今回の問題点を一緒に振り返ってくれて

私が負った損を、一緒に穴埋めしてくれると言ってくれた。。。!!涙

 

 

それだけじゃない

 

愛知に戻っていたとき、母にもその話をしたけれど

黙ってただ一緒にいてくれて

 

逗子に帰るときに、お菓子や必要なものを持たせてくれたりもした

 

 

 

 

私が「損をした」と思っていた出来事は

 

実際には「あったものがなくなった」わけではなく

「得られるはずだったものが得られなくなってしまった」ということ

 

すなわちそれは

 

「もともと、なかったもの」だったのだ

 

 

 

その「もともとないもの」を追っかけて

 

過去のことを悔やんでいたり

誰かのせいにして憎んだり

自分を責めていたり

 

なんて無駄なことをしていたんだろう

 

 

「ちゃんとあるもの」に目を向ければ

 

 

全部を優しく受け止めてくれる相方さんがいて

ヘマをした自分を愛おしく思ってくれる母もいて

 

 

愛と優しさに満ちた世界の中で

生きていられている自分に気づく

 

 

とてもとてもありがたくて、尊い世界で

 

 

 

そう感じたら、ありがたすぎて

自然と涙が溢れてきた

 

 

 

「ないもの」にフォーカスするのではなく

「あるもの」にフォーカスする

 

 

それは、自分の中だけじゃなくて、

自分の外側の世界にも共通すること

 

 

 

きっと、今の社会は

「ないもの」にフォーカスしているから

とっても苦しいのだろうな。。。と

この現代社会の縮図を、自分の中に見たような気がした

 

 

 

何日も落ち込まずに

こうしてちゃんと「あるもの」に気づけて本当によかった

 

 

 

いつもいつも、本当にありがとうございます